『手紙』を読んで
『手紙』を読んだ。いつもの事だがいっき読み。最後の2ページあたりでブワァーッと涙が溢れた。喉の奥が熱かった。
| 手紙 著者:東野 圭吾 |
さて感想です。
映画化にあたり、出演がまた山田孝之君かぁ~と思ったけれど、本を読みながら充てられている役者さんを思い浮かべみると、そう違和感がなかった。でも由実子役の記述が「不美人な部類……」と出てくる。それを沢尻エリカ嬢にやらせるかぁ~? と思ったのだけれど、芯の強い由実子ちゃん役は合ってるのかもしれない。エリカ嬢は見るたびにキラキラ輝く旬なオーラを漂わせている。でも彼女はそのオーラさえも自在に操る人な気がするので。
さて本題です。
“強盗殺人犯の弟”という運命を背負わされてしまった直貴は、突如世間の荒波に一人で放り出されることとなる。まだ世知にも長けていない年齢なのに。直貴のところだけを読んでいると、「もし私が大金持ちの婦人だったら…」=恵まれない境遇の人に学費を援助したりして…等と偽善的な事を考えてみたりする。
けれど直貴の就職先の社長である平野が言った言葉…「差別はね、当然なんだよ」。私もそう思う。それは肌の色や出身地で差別するという事ではなく、学歴で差別するという事でももちろんなく。
人間の優劣に対する不当な差別ではなくて、「罪を犯したものの家族」が世間から冷たい目で見られるという事。理屈とは別で“係わりたくない”からこそ遠ざけてしまう人の心理、本音。まず人間性を知ってもらえる前にそういったことで判断してしまいますからね。
差別は当然…と書かれてあったのは、そうしなければ人が過ちを犯してしまうかも、という行動を律する事ができないから。罪を犯して自分だけが償えばいいと言うわけではない。必ず家族をも巻き込み、苦しめる。「そんなリスクを犯してまで、あなたは過ちを犯しますか」という事だ。
中にはそれを確信的にやる可哀想なな輩もおりますがね……。それはまた別のところに心の問題があるのだけれど。
人間って自分がとった行動で自爆するのは自業自得だけれど、その事で家族を傷つけてしまったということの方が耐え難いですよね。動揺が更に大きいはず。
世の中、自分または身内がいつ被害者となるか、加害者となるか分からない。どちらの当事者となっても別々の苦しみがあることだろう。事件・事故の前に時計の針は戻せないから。
裏腹だね。人の気持ちは。その人を愛していても、人生のある時点で憎しみにも変わることもある。けれどそれも“愛”とさほど変わらないような気がする。その人にベクトルが向けられている事に代わりはないのだから。
兄貴、俺たちはどうして生まれてきたんだろうな――。
勝ち組とか負け組とかはどうでもいい。何を持って“勝ち”なんだか“負け”なんだか教えて欲しいよ。人にはそれぞれ生まれてきた意味が違う。人間の数の分だけ違う。どう人生を終えるかもね。それがどんなに華やかでなくても、地味でも、長くても、短くても。
生まれてきた意味を知るために戦うのだから。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (3)






最近のコメント