私的精神論

2007年5月12日 (土)

無題

Img_3105   

――例えばそれは、死を迎えるような恐怖に似ている。

Img_3108いずれは誰にも必ず訪れる、考えても考えても避けられない事柄。だから複雑に考えなければいいと思うのだが、考えることをとめられない。思考をとめられない。

私は自分を止められない。

だから、夜がくるのがとても怖い。

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2007年3月18日 (日)

愛新覚羅浩の生涯~を読んで

ラストエンペラーの弟、溥傑氏の夫人、浩さんの生涯を描いた本を読んだ。2日かけて昭和の近代史にどっぷり。内容はさらりと書かれてあるのだけれど、にんともかんとも濃ゆい人生でした。気力をかなり“持っていかれ”た。まさに流転の王妃なんたる流転の人生か!

二人は「日満親善」の名のもと政略結婚をさせられた訳ですが、お二人の間に深い愛情と思いやりがあったことが端で見ているものとしてはせめてもの救いと感じる。政略結婚であっても愛で結ばれていたご夫婦といえば李王垠殿下と方子様もそうですが、互いに信頼し合ってるからこそ、時に心を打ち砕かれてしまいそうな政治的策略や人種同士の諍いなど、あらゆる壁を乗り越えてこられたのだろうな~と非常に感銘を受けるものがあります。

人間、個人対個人で向き合えば人種を超えて互いを尊重し理解することが出来るとと思うのですが、そこに国家(もしくは団体)が絡むとどうして個人的な意見、感情は全て無視され、争わずにはいられなくなってしまうのでしょうね……。

さて、本の中盤では溥傑氏と浩さんの長女慧生さんの心中事件のことに触れられている。浩さんの人生を語るにおいて決して外すことのできない事件の一つではあるのですが、しばし本編から大きく脱線して数ページが費やされている。

慧生さんは、まごうかたなき清朝の血を引くお姫様であるわけですが、ちょうど日本の女性の存在・価値観が変わろうとし始めている時代を生きた方であるためか、気高く凛とした女性という印象であるとともに、現代女性にごく近い(人間臭さ、と言う意味ね)言動や振る舞いを垣間見せてくれ、ささやかな恋の悩みや葛藤ももちろん持ち合わせているのである。同性として共感(好感よりももっと近しい想い)を抱くところが多く、どうしても感情移入をしてしまうのよねぇ。

……なので、私も脱線して(?)慧生さんのことに触れてみようと思う。

慧生さんは満州に住む親元から離れ、日本に住む浩さんのご両親=ようするに祖父・祖母=のもとで幼稚園から学習院に通うことになる。後に父である溥傑氏は叔父(ラストエンペラー)とともに捕虜となってしまうし、母である浩さんと妹の嫮生さんは監禁生活を強いられ、長く満州〔中国〕をさまようこととなる。よって十数年間、戦争に突入した日本で少女は一人で生きていかねばならなかった。例え祖父・祖母が側にいたとしても無条件で守ってくれ、甘えられるはずの親が側にいてくれないこと、まして再び生きて会えるかどうかも国家レベルで危ぶまれてるという状況は、彼女に孤独(ある種の疎外感)を心に植えつける日々であっただろうと想像する。幼い頃から自立せざるを得ないのだ、と。

終戦を迎えてようやく日本で母と妹に再会できたとき、母である浩さんから見た慧生さんは機知に富み快活なお嬢さんであったようだ。逃亡生活で疲れきった母を不安にさせないようにと自分の心に巣食っている孤独はおくびにも出さず、時にユーモアを披露して母親を安堵させているんですね。捕えられた父親の為に恩赦を求めて中国首相に手紙を書くなどの行動力をも持ち合わせている。

その堅実な慧生さんが、こともあろうに学習院大学時代に大久保武道氏と知り合い、恋に落ち、心中事件を起こして若くして死すこととなる。俗にいう天城山心中というやつ――。まさか、と思うわけです。あれだけ賢く気高い慧生さんが? と。母親を置いて先立つなんて! と。

どうせ男の側に誑かされて心中を迫られ、脅されて嫌々ながらに…などと最初は思っていました。ですが、慧生さんと大久保氏がやり取りしている書簡を見、「あ、こりゃもうだめだ」と思いました。俗っぽい言い方をしちまえば二人は超ラブラブのそれ以上、なわけですよ。二人は互いの家柄が障害となり交際を反対されていたのだが、すでに精神的にはもう結婚したも同然の結びつきを見せている。書簡からは静かなる熱い蜜月の匂いが濃く薫りたってくる。

心中までのいきさつに関しては単なる弾みではなく動機となる事柄があり、解決すべく二人の間で熟考を重ねたようですが、それがかえって二人の硬質な純粋さをより強固なものにしてしまったのかもしれませんね。純粋な愛はもはや天上にしか存在しないのだと。

慧生さんの在学中のお話に遡りますが、同窓生からみた慧生さんというのは学生達の中に慎ましやかに存在していたとしても、やはり独特な気品漂う方であったらしい。だから多くの男子学生が慧生さんの言動に一喜一憂していたようだ。慧生さんが母性を発揮して学生に親切をする。それだけで相手に「僕は好意を持たれている!」と勘違いされてしまう。ああいう方はうかうか人に親切にもできないのでしょうか? 色気抜きな母性のつもりなのにそれが絶大なる効果を発揮してしまう女性(聖女)の苦労…というのはちょっと分かる気がします。

「男どもよ、冷静に周りを見てみたら彼女は誰に対しても分け隔てなく親切に接しているだろうよ、目を覚ませ!」と言って差し上げたい。彼女がもし不美人で、およそ品もない女性であったとしたら母性を見せてもフラフラっとすることはないくせに等とも。

心中は彼らの世間に対する世間への「主張」ですよね。無言で強力なる「主張」。それは幼い頃より抱えていた飢餓感のせいであったか、あなたを恋うる人々の想いのせいであったか、あなたに背負わされた血筋のせいであったのか。でも慧生さん、やはりあなたは若くして旅立つべきではなかった。それは残されたご家族の為に申し上げたい事でありますが、どんなに俗物くさくなったとしても、したたかと言われても、苦しくとも障壁を乗り越えて、この世で生き抜くお二人の愛の形を見せて欲しかったです。それはきっとご両親の愛の形に匹敵するほど、私達のお手本となり永遠の友となったくれたことでしょうから。

すでに叶わぬことなのですが。こういう方ってのは良くも悪くも結果センセーショナルにしか生きられない運命を背負っているのでしょうかね……。

以上、聖女の生涯~を読んでの感想でした…。あれ? 最初とタイトル変わってるしっ!

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2007年1月 7日 (日)

鑑賞④ =17歳のカルテ=

17歳のカルテ コレクターズ・エディション DVD 17歳のカルテ コレクターズ・エディション

販売元:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
発売日:2006/02/22
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原題はGirl Interruptedとな。多感な少女が精神病院で体験した心の葛藤と友情の物語。

☆*:;;;;;;:*☆☆*:;;;;;;:*☆☆*:;;;;;;:*☆☆*:;;;;;;:☆☆*:;;;;;;:*☆

精神障害の中でも境界例、境界性人格障害に一番興味をそそられる――というと語弊があるかもしれませんが、しょうがない。正直な感想なのだから。

多感な少女期特有のもの…という印象があるからか、強烈な匂いに引きつけられるようにフラフラ~と近づいていってしまう。「私もあの中にいたの! 私もあの一部だったのよ!」と取り付かれたように心が叫びだす。血が騒ぐ?

はーい。ウィノナ演じるスザンナが入院した病棟に、アンジー演じるリサが(脱走により?)保護されてくる。リサは興奮して暴れまくり、看護者の手を煩わせ、入院患者達の恐怖心を煽っている。その姿のある種のカリスマ性ったら! オン・ザ・まゆげなブロンドの美貌、手足が長くてスリムでナイス・バディ。ボス(支配者)の貫禄たっぷりなのです。

人間はなぜ強烈な個性=狂気? な人間を怖いと思いつつ崇めてしまうのでしょうね。リサの先導により、ピッキングの名人(?)などを引き連れて事務室に忍びこみ自分たちのカルテを盗み見たり、行く果ては脱走したり。でもそういう光景って“女子が結託した時の悪ノリ”なものそのもの。史上最悪の、でも史上最高の。史上最強の美でもある。

振り返ってみると、少女期には誰もが微妙にボーダーラインに引っかかる心の動きを孕んでいる気がする。いや、絶対そうだ。たぶん多くの少女が「あたし、あたし、あたし!」と手をあげる気がする。結果どっちに転ぶか転ばないか、塀の向こうに行くか行かないか、だが…。

本人は自分の心だから、まとまった説明ができなくても内面の動きがどこかで分かっているんですよね。自分からもう一人の自分への変化が見えている。一つ一つの行動にも意味があるからバラバラで気まぐれに見える行動も言動も本当は一本の糸で繋がっている。

「ambivalence!!」 スザンナのセリフですが、まさにこれなのよね。

傷つける目的で相手を平気で傷つける。それは愛しているからで、振り向いて欲しいからで、自分が傷つけられたことの報復でもある。一生逃がすもんか、と。

ただ周りに人間からしたら、見た目の個体は一体だけ(その子以外ではあるわけがない)、なのだから戸惑うよな。そりゃ。誘惑されてもけっして屈してはいけません。治療が必要となってしまった場合の先生たちの苦労が偲ばれる…。片手間にされると、必ず嗅ぎつけてしまうもの。本気で向かっていける相手、本当に心を開ける相手、全面的に受け止めてくれる人がいればいいのだけれど。それがお医者さんでなくても、何かきっかけがあれば、案外スルッと抜け出せる時があるのかもしれない。

威嚇してくる猫に「シャー!」と威嚇し返す? うん。仕返す。

こういう系のテーマがお好きな方に↓↓オススメ本 ↓↓

症例A Book 症例A

著者:多島 斗志之
販売元:角川書店
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少女に取り付いているものの本当の正体は…。精神力の弱い方にはお勧めしない。

17歳のカルテ(2000) - goo 映画
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2006年12月23日 (土)

今日の夢~怖がりの方は通りすぎてね~

=ソフィスティケートに書くつもりだけれど、過激な言葉になってたらごめんなさい=

人をあやめる夢をみた。私が直接手を下したわけではないのだけれど、ここのところ殺戮の夢ばかり見てしまうので、恐怖の吐き出しどころに困る。吐いてしまわなければ、正夢になってしまいそうな感が拭えないのだ。

それとも自分の中の毒に戸惑っているのだろうか…?

今朝の夢は連続して起こる殺人事件が、自分の身の回りの人たちを巻き込んでいく夢だった。“私” の友人である可憐な女性の、優秀なる恋人が事件の重要参考人とされている…そういう話だ。彼は事件には無関係だと否定するが、私の恋人(フィクションですよ)が彼の知られざる素顔、葬っている過去、脅迫されているらしい事を暴いていく。私と友人は彼を信じているけれど、彼の暗部について心の隅に思い当たることがないわけでもないと感じている。それが恐ろしくて、お互い言い出せずにいるのだが。

彼女と二人で無言で土手を歩いた、お互い事件の真相が見えつつあり、「彼が犯人なのでは…」と疑わずにいられなくて葛藤している。おとなしい彼女がこの現実に耐えられるのだろうかと慮りつつ…。土手は枯れた草木ばかりなのだけど、枯れた色が黄金色にも映えた。まるでこれから起こる恐ろしいことと対比するかのように神々しい光景だった。まぶたの裏が痛い。

彼女との散歩の途中、彼女の勤め先である保育園に寄る。そこで園長夫妻に呼び止められた。庭の茂みに「人が倒れているから来てくれ」と。私達が行くと、倒れているその人はもう息をしていなかった。枯れ草に埋もれていたその亡骸は、ひどい形相をしていたが彼女も私もよく知っている人だと分かった。彼女の恋人と親しい人物だったからだ。そして私達は彼らの因縁の噂についても耳にしている。

もう一連の事件は、彼と切り離しては考えらないところまできている。

私の友人は、彼が死体をここに放置したのは自分で処置をする時間がなかった為(なんか知らんが学会出席だとか、アリバイを作っておく必要があったとか、警察の尾行だとか…)、彼女に助け(協力)を求めているのだと解釈する。

彼を庇おうとする彼女を、私も園長夫妻もとめることが出来なかった。

彼が使用した道具も、彼女と彼だけしか知らないはずの場所にひっそり隠してある。それを一つづつ処理していく彼女。けれど結局、その事が私の恋人に気が付かれてしまうのだ。彼女と彼が逃避行しようと身を隠している場所を、警察に知らせようとする私の恋人(当然のことだけど、心の機微がわからんやっちゃ)

私は一日だけ待って、と恋人に哀願する。明日になれば彼女が付き添って彼がきっと自首してくれるはずだ、と。それを信じて欲しいと――。

――っつう所で目がさめた。

別になんちゃらない夢だけど、血なまぐさい匂いが漂ってきそうな鮮血を夢で見てしまうと…自分の身が汚れた気がしてしまい、目覚めが悪いったらない。

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2006年12月13日 (水)

人権デー

1948年12月10日、世界人権宣言が採択された。これを記念して12月10日を最終とし一週間は人権デーと定め、国際連合はすべての加盟国にこれを記念する行事を実施するよう呼びかけている…そうな。

ゆえにポストに投函されていた市の広報誌には、「人権尊重」の題名が掲げられてあった。・こどもの人権・男女共同参画・同和問題・ホームレス支援・知的障害・外国人差別・感染症隔離政策・職業差別の項目と共に。

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Img_1883 冬の空はうら寂しくて…。

               その反面、何故だかとても心安らぐ。

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眠れない深夜にホットミルクを飲みながら目を通してみた。む~考えさせられる事が多いのだけれども、なかでも心を奪われたのは同紙に掲載されていた女子中学生による最優秀賞受賞作品だ。彼女の兄は軽度の知的障害があり養護学級に通っている…との内容のその作文には、兄が養護学級に通っている事を告げると人に不快な顔をされる事があるという。彼女自身はお兄さんに対して悲観するということは全くなくようだが、そういった世間の差別には憤りを感じる、との事だった。

最後は差別、偏見、不公平を無くすべく社会に訴えていくと何とも頼もしい言葉で結ばれているのだけれど。

確かに…だ。自分の子供時代を振り返ると、こういったことがいじめの原因に密接に係わっていたという思いが拭えない。

大人たちが話す密やかな事、偏見の目…そういうのって子供は敏感に感づくからね。自分より“劣っているらしい”ものを見つけることに関しては恐ろしく目ざとい。

今まで世間に正しく理解されずに偏見の壁に隔てられてきたこと…例えば知的・学習障害、性同一性障害とか。「その病気って移るんでしょう?」等と言った誤解とか。今でこそドラマにも取り上げられて、人々の理解や協力を得られるようになってきているかもしれないが、それはまだまだ少数派なのでしょうね。

今のいじめが陰湿だと言われるのは、「人を傷つけている」という自覚がいじめる側にないことだと思う。自己中心的と云うか、感受性が欠如してるというか、辛抱が出来ないというか。昔はこっそりといじめが行われてきていた、それがどんなにたわいのない悪さの範囲・発言だったとしても、いじめる側は「自分は悪いことをしている」という後ろめたさが心のどこかで解っていた気がする。それでも止められないのだから昔のいじめも陰湿であることに代わりはないのだけれど。

「自分にされて嫌な事は人にもするな」って昔、先生に習った気がするんですけどね…。今はそういってくれる先生が少なくなってしまったのだろうか。

自分も正しく理解できているか、壁を作ってないか、と問われたら…100%の自信はないのだけれども。どんな人にも親切にせねばと常に思ってはいるけれど、その人と相対した時に本当に自然に振舞えるかどうか、と。やはり信じがたい行動をとられると、とまどう心がどこかに一瞬生じてしまうような気がして。

――って構えてしまうことがもう不要なことなのかもしれないね。何も大げさにも感傷的にも捉える必要はなく、美談に仕立て上げる必要もない。みんな同じように人生で誇れるものものも、つまづきも、長所も短所もあるのだろうから。

それだけのこと。

人生、どんなテーマを与えられるかは人それぞれだよね。それをどう生き抜くか。

突出させてワーワー担ぎ上げる必要も祭り上げられる必要もない。「あ、そうなんだ~」と肯定できる心があればそれで。それが一番自然に思える。

人がどういう問題を抱えていようが、それをいたずらに突きまわす暇があったら自分の人生をより良いものにしなさいよ。つつきまわすのではなくそっと寄り添えばいいのだよ。と、自分にも言い聞かせつつ…。

最近、自分の人生のテーマを見失いかけていたので、ここいらで自分を戒めておかないとね。

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2006年10月20日 (金)

今日の夢  ~尚、この日記には暴力的なシーン(?)やグロテスクな表現(?)が含まれています~

昨日は一睡も出来なかった。朝の8時にもう一度し切り直してベッドに潜り込み、10時まで何とか寝た。その二時間弱の間に見た夢の話です。

1_7舞台は退廃的で無秩序な――というか精神的に暴力的な人が多い――中世のような国だった。

私はその国の王で、全ての子供たちの父の視点で夢を見ている。その私の住む宮殿に一人の流れ者が居つく。その男は『前世からくり返し殺戮を行なってきた魂』を持っている。早い話が“業を背負っている男”っちゅう事ね。

その男に、私の実の息子(王子)がやたら懐く。この息子と言うのが情緒が欠如していて、純粋すぎる故に逆に猟奇的な精神を持っている。

そんな彼らの遊びと言ったら、人々をありったけの方法で精神的に追い詰めていく事なのだ。“業を持つ男”を奴隷のように従え、家中に悪質な悪戯を仕掛けてゆく。父親である私、母親、姉、家来達に。具体的な悪事は良く覚えていないのだが、こんな悪戯にも特に自分を含めまわりの大人たちが気にしている風もないところが『恐ろしい…』と夢を見ながら感じている自分がいた。

すごく印象的なシーンがある。高い所に設置されたブランコに王子は乗ろうとしている。それはとても人間の遊具と呼べる代物ではなく、高さ3m位の所に腰をかける部分がフ~ラフラ揺れている。

王子は大型の愛犬をブランコに同乗させようと目論み、“業の男”に愛犬を腰掛け部分をめがけて空へ放り投げさせた。失敗しては何度も試みたせいで、次第に愛犬の体は傷つき、ボロ雑巾のようになってゆき…。

Img_1375_1そんな愛犬の姿に嘆き悲しむ王子の姉。嘆き悲しむといっても、この娘も情緒的感性が欠如しているので、癇癪を起こしてまわりに当り散らしながら暴れまわる、という手段なんですが。

愛犬の魂の復活祭を行うことになった。それはこの国でこの娘しか行えない魔術なのだ。

その方法は大蛇の体を真ッ二つに断ち切り、流れ出た血を浴びるという方法…だが一回目は失敗。再び大蛇を家来に捕らえさせ、やり直すがまたもや失敗。失敗するたびに何度も何度も狂信的に復活の儀式をやり直す。

そのうちに私の視点がこの娘になっていて、「こんな儀式を行っていたらこの国がダメになる、この娘の精神も壊れる、全てがおかしくなる。でも愛犬の為には致し方がないのか…」と葛藤しながらも血を浴び続けていた。もしかしたらそんな行為を何処かでおもしろがっているかのように――。

って所で目が覚めた。目が覚めたら泣いていた。涙で顔が濡れていた。

夢を見て泣いたのは久しぶりだ…なんというか目が覚めたとき、本当にこの国(日本)が壊れていくのではないか…と思ってしまったのよね。将来への暗示?

あーそれにしてもヘビィな夢だった。大蛇が出てくるだけにヘビィ、とか言わないように。

それにしても、なんだかなぁー(‐。-; ハァァ-

夢占いが出来るそこのスニャにゃん。この日記を読んだら占い結果をこっそり教えてくださいませ。もしかして鬱憤がたまって…る!?

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2006年10月 3日 (火)

青から黄色、そして赤へ…。

あれは8月の終わりか、9月の初めだったか、それとも中旬頃か――。

数ヶ月前から灯り始めていた心の信号、健康的な青から黄色に微妙に色を変え始めているなぁとは自分自身、感じていた。そしてそれが此処のところ急速に黄色から危険な赤へと変わりつつある事も…。

数週間前までは毎日お散歩に出てはカメラを構えるので写真が増えに増え、困るくらいだったのに、先日に空にカメラを向けたときに自分の為に写真を撮るのは(心でカメラを構えるのは)久しぶりだなぁ…としみじみ思ってしまった。

ピーチャンのお世話をしていたから? お天気が悪かったから? 公的な用事で忙しかったせいか? それも少しはあるけれど全部違う気がする。

何もかもがかったるく、人の声が雑音にしか聞こえない。人と相対した時に対応できる余裕すら失い、常にイライラしている。かといって応対している心と言葉に嘘も裏もヘチマも無いのだが。毒も隠すことなく表のツラなのだが。

ただ何となく、自分が擦り減っているような感じ…。

心が乗っ取られている感じ…。

誰かに操られているような感じ…?

寄生されている。だから操作されてはいけない、と心の信号がピコンピコンしていた。覗いてはいけない扉を、私は開けたくないのに「覗いて覗いて、ねえ覗いて」とささやかれている感じよ。理性と裏腹なの。止められない。それを考えないよう、考えないようにと務め、心の隅に追いやっていたけれど…そろそろギブーッ!! 

パソコンのウイルスが私に伝染した気がする。パソコンに取り込まれそう。精神が。気力が。

でも~辛かったしがらみは全部解いた。私は再び解放されるだろう。はぁ~窮屈だった。窒息しそうだった。どこにも逃げ場が無いんだもの。逃げても逃げても追ってくる感じ。誰かに頓珍漢なイメージを押し付けられ、振り回されるのは真っ平だ。善意を利用されたくない。放っておいて欲しい。私は自分で欲しい物を選んで、見たいものを見て、読みたいものを読むぞー。うん。

これからは少しづつ自分と自分のペースを取り戻していこう。そしてパソコンと向き合う時間も少しづつ減らして健康的なリアルな生活をしよう。

Img_1220_1 実は先週から、ニーナの服を作っている。

Img_1222Img_1224本を図書館で借りて(しかも人気がすごくて予約したもう一冊、まだ準備されないよ)、ブライズちゃん用なのだが、ピッタリ合ってかわいいです。

何点か作っているが、取り寄せているドール用ソーイングパーツ(小さいボタン、バックル等)が来なくて微妙に未完成。

明日あたり来るだろうか…。そしたらお披露目しよう。

私はお裁縫好きです。自分の内面と向き合えるので、こういう精神状態の時にはちょうど良かったかもしれない。黙々黙々と作ってます。

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これが来ないの↑ はやぐぎでー。

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2006年8月26日 (土)

トリッピング

溜まっていた「アイロンがけ待ちのワイシャツ」にようやくアイロンを通した。

暑いから嫌なのではない。単純に「苦手」なのだ。「今日はやるぞ」と決めたらキッチリとやり遂げる方ではあるのだが、何故か家事の中で「洗濯物を片付ける事」に関するモノに対して、私はエンジンのかかりが悪い。

で、ようやくアイロンを操っている訳ですが、頭の中ではまったく別のことを妄想(トリップ)している。けれど手は頭とは別物のように動き、作業を続けているのだった。読んで字の如し…『無心』とはこのことぞ。

Img_0943

さて、脈絡のない話をします。その妄想(トリップ)の話。

自転車に乗っている時は必ずそうで、私はスピードが加速されるとトリップ状態に入る。その時は既にもう現世の光景は全く視界に入っていず、なのにちゃんと赤信号では停まって、歩行者がいたら避けて、ちゃんと家に帰りついている。不思議だ。

体中をアドレナリンが駆け巡るせいかな~? 「お風呂で寛ぎながらアイディアを練ります」なんてこたぁありえないんですね、私には。

これが寝る前であればもっと良いイメ・ト(イメージトレーニングの略です)をするんだけれども、トリップ状態の時に考えている事は大体過激だ。単語で表すと、「撃つ、斬る、高く飛ぶ、謀をめぐらす、孤独、操る、睨む、挑む、嵌める」等など…。

その単語のみの光景を今度は文章に組み立てる。

Img_0945私は文章を書くとき、文節が発するリズムに(こう見えても)かな~り気を使っている。改行の“形”にもだ。どこで折りかえすべぇか、と。それが呼吸と呼応しなければ自分自身がとても居心地悪くなるからだ。

本を読む時もそう。作家さんとのリズムが合わないと、読んでいて息が苦しくなる。だからヘッタクソな文章――もとい、自分と呼吸のリズムの合わない作品――はあまり読みたくないわけです。

これは江國香織さんの本を読み始めてから意識し始めた事である。どこで漢字をひらくか、等も。バランスね。そして美しい日本語であるという事。

『ら抜き言葉』や『さ入れ言葉』も使わないように気をつけているし、小文字使いも嫌い。ご自身のブログ内での使用なら10000歩譲って兎も角も、公然としたやり取りの場で「こんにちゎ」「私ゎ」「ぇっとぉ」「これゎ」とか書かれているのを目にすると、ゾゾゾーと寒気がし、皮膚がかゆかゆになるのであります。(小文字使い文化自体を否定してるのではなく、同レベルの人友達とのメールのやりとりの範疇にしとけよ、ワリャー! と思うわけです。但し「私はぁ~」「ひぃぃ~」は許せる。母音だと長音のリズムを持ち、表現として不自然じゃからかもしれない

決して堅苦しい文章だけを正しいと信じている訳でも、好いている訳でもないんですが。文章表現もT・P・Oに応じってことですかね。

先日、三島由紀夫の本に初めてとっかかりました。時代的に古い言い回しはあるものの、美しい文体の表現に酔うように引き込まれていった。けれど途中、裕福な育ちの少年達が、猫を撲殺するシーンに遭遇し…。

その瞬間、ムラムラ~っと怒りが湧きあがってきて、本を真っ二つに引き千切り、ゴミ箱にズガーン!と捨てた――  い衝動に駆られましたが図書館の本なので止めときました。しかしそこで読むのをキッパリ止めた。どうも許せなくて。

Img_0946こういう表現、スルー出来る時もあるんですけどね。この日は素通りできない精神状態だったらしい。

「陰湿だと理解していて、あえて陰湿なことをやる…快感を得る為に。それが何か?」と。

けれど私はダークな描写そのものを忌み嫌っている訳ではないし、否定するわけでもない。多分、そういう精神状態に至るまでの伏線が描かれる前、人物設定を噛み砕く前に予告なく、唐突に出てきたからスルーできなかったのかも。これがストーリー上、必然性があった描写なのかは読むのを止めてしまったので今となっては分かりませんがね~

ま、こういう事を本気で実行する輩の方がもっと許せない訳ですが、動物に手をかけるのは例え文章表現であっても私は耐えられない性質でして。小説に於いて人が連続でバッタバタ死のうと何とも(?)思わないくせに。

Ma_1_1心底許せない心境なので、個人的には二度とミシマを読む事はないだろう。「いやそれは食わず嫌いだよ」、「これはおもしろいから読んでみて」と言われても絶対読まない。だからといってミシマファンの方に出会うことがあっても批判しませんよ。個人の好みの問題ですからね。

自分は手相にクッキリと出るくらい、「好き嫌いが激しい」らしく、けれど「こいつ嫌いだ」とまわりに公言していても、好ましい部分があったりすると「こういう所は良いよね」とペロッとカルくのたまったりするので、「どっちやねん!」と突っ込まれる訳ですが…自分なりの『好き』『嫌い』ルールがあるんですな。これは人に押し付けたり押し付けられたりするもんでもないしね。人からの影響で意見が変わる事はあっても。

イケメンだけど演技ヘタ…とかは嫌いなのです。中身が薄っぺらい気がして。でも漢字読めないけど、空気を読む頭の回転の速さを持っている人は好き、とかね。ただし演技が下手でも肩書きが役者ではなく、存在として“アリきならば”それは許せるかな…とかね。逐一うっせーな~!(笑) 兎も角も自分のこだわりは捨てられぬわ。

そして今日も自分なりのルールに乗っ取り、トリップ状態お散歩に出向いてまいりまする。頭の中が、動作に比べ忙しない。そりゃ不眠症にもなろうて。

どうよこんな自分【←自分への問いかけ】

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2006年8月 8日 (火)

ソラヲアオグ

Asayake ――あなたの癖はなんですか……?

私は空を見上げるのが癖です。

ある日、世の中に起こっていること、自分を取り巻くもの、全てなんにも見たくなくなって空を見上げた。それがちょうど黄昏どきと、とっぷり暮れる前の中間で夜空がコバルトブルー色をしていた。冬だったので空が低く透き通り、潔く切り裂いたように三日月が浮いていて寒々しいのだけれど、おそろしいほど綺麗で泣けた。

綺麗なものを目にすると誰かに教えたくなるよね。「あのさ今、空がね――」って。心にふっと一番に浮かんでくる人、その人を一番好きなのだなと思い知らされる。そしてそれがもう二度と手の届かないものだと思い知らされて、同時に愕然とするのだけど。

夜中になると焦燥感に襲われる。それでカッと目が覚めるのだ。その焦燥感から逃げたくなるために人は自ら命を絶つのだろうか? 「こんな絶望を味わわされるくらいなら」と。例えば自分(誰か)がこの世から突然消えても、身近な人はその理由が分からないかもしれないが==「普通に幸せそうに暮らしていたのに何故?」ってね==その答えは実は単純に密やかに誰のところにも横たわっているものなのかもしれない。

実際はそんな事を実行する勇気もないのですが……。

――いや、無くていいですそんなもの。そんな勇気は必要ないです。そんな勇気を発揮するくらいならむしろ、ぐっと踏みとどまって、もう一度怖くても現実に戻っていらっしゃい。今は辛くても、死に向かうエネルギーはきっと何か自分の生きるためのエネルギーに換えられるのだから。人間はその為に、生きるために時に狡賢さも持ち合わせているのだしね。

けれど時に、“死”というものを美化してまう年代ってあるっちゃあるよな。

怖いのだけれど、禁断の扉を開くように、ね。

けれど扉を開いたらそこで終わりだ。確かに何かに苦しむこともなくなるけど、いずれ出会う楽しみも嬉しさも喜びも、感動することも味わうことができなくなりますからね。

最近の私は夜空よりもむしろ、青空を見上げることが多くなった。そして空を見上げて笑ってる。空が広いのは気持ちがよくて、清々しくて。けれど、いつか呆けたように見上げた夜空の事を忘れてしまったわけではない。心にそっと仕舞ってあるだけ。

子供のころは感受性だけで生きてるのに、大人になると器用にそれを出したり仕舞ったり出来るようになるね。子供の時はそんな大人は嫌悪の対象でしかなかったけれど。“何か”を感じとる心を、大人失ってしまった訳でもなく、仕舞いこんでいるだけだ。それを麻痺させてしまっている人もいるけど、時々それを引っ張り出してくるのは何て楽しい行為なのだろう。

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2006年7月26日 (水)

「頑張れ」という言葉

06041022img_7658=23日に書いた日記の編集後、再掲載です=

「頑張れ」という言葉を使うとき、妙に慎重になってしまう事がある。

時にはそれが、凶器となる場合があるからだ。

正確に言うと、ある時を境にそういう意識が芽生えたのだが…。

頑張っても頑張っても頑張っても乗り越えられない壁にブチ当たってる人がいたとしよう。その人に、「頑張れ!」と声をかけたら、その人は一瞬気力を取り戻し、もうひと踏ん張りしようとするだろうと思う。

けれどそれが落とし穴なのだ。

すでに限界を超えてしまっている人に対して、それはより気力を奪う行為になってしまうから。

頑張っても頑張っても結果が出せない事に疲れきってしまっているのに、その事に気が付いてあげられず、無意識で傷を深くえぐることになってしまう。

その事を助長させる凶器になってしまうと痛感してからは、より慎重になった。

子供のように、時には頑張れるのに臆病になっていて、甘えて踏ん張れずにいる人もいるだろう。そういう人に対しては惜しみなく言いたい。

「頑張れ」と背中を押してあげたいと思う。

      ■ ■  私の人形についての見解を書きます  ■ ■

        【心身ともにナーバスになっている方はスルーしてください!!】

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私は、ぬいぐるみ等のかわいいマスコット系も好きなのですが、カタカタと動く人形に特に心惹かれる傾向がある。

暗闇の中で、ひっそりと、手足をこわごわと動かしている。おぼつかない動作で首を振る。

それは私には“傷ついたものの姿”のように見えた。

短大のときの友達は、そのことを確かこのように評したと記憶している。それは「胎児の姿を見ているのでは?」と。

←余談ですが、その彼女がくれた切抜きです。

彼女は人の心を言葉にするのが上手い人だ。何もかも見透かし、影の支配者のような神々しさを時々感じる。こういう感じ方は非常に女性的なナルシスティックな意見ですがね。

           ☆*:;;;;;;:*☆☆*:;;;;;;:*☆☆*:;;;;;;:*☆☆*:;;;;;;:☆*:;;;;;;:*☆☆

(編集終了~♪)又、私には心理学の学問的知識はないので以降も感覚で述べます。

そこにゆらゆらと揺らいでいる、ろうそくの灯を思い浮かべていた。この灯はこれから更に燃え上がろうとしているのか、それとも燃え尽きようとしているのか――儚さ、危うさ、脆さ、刹那さ、尊さ、神々しさ、色んなものが混在しているように思う。

冥界婚、というものがありますね。夭逝した子供の為にあの世で穏やかな生活ができるように花嫁人形をあてがうと云う。私は知覧の特攻会館でそれを見ましたが、靖国や全国各地のお寺にもこういう行為(風習?)が見られるのでしょう。まさか本物の人間をそこに留めおく事は出来ないわけで――そうなるともう、小説のネタのようですが――そういった“使命”を与えられた人形には個々とした“命”が宿るような気がするんですよね。
けれど決して“与えられた使命”以外の行動は許されていない……。

飛騨高山にカラクリ人形を教授の勧めでむかし観にいきました。よくあるお茶を汲む、矢を射る人形等です。小屋のような箱の中から出てきて、盆に載った茶を運んで戻る、あれ。そういった人形の顔は穏やかな童子の顔をしてますが、なんとなく背負わされた使命の尊さ=脆さ→切ないもの、傷ついたものを感じてしまう。

話があちこち飛びますが、子供の時に某デパートのショーウインドウに、ぬいぐるみ達が奏でるオートマタがあった。デパートに連れて行って貰うたびにガラスにへばりついて飽きることなくみていた。思えば空間演出という科目を専攻したのもあの時の「ときめき」が潜在的にあったのかもしれないです。

映画「マネキン」をみてこの道を選びました、という子も多かったですね。私も好きな映画ですが、在学中に「自分は動く人形好き」なことに気が付いたんですよね。
パペットアニメ、クレイアニメも好きです。
それからは追いかけるように「動く人形」系の催し物に出かけるようになりました。そこで出会ったのがムットーニさん(人形師、武藤政彦、日本人ですからね)なのですが、私の求めるものの究極(?)だと思いました。

200607261253000“これ”を追及してる人が存在するという事は、自分の愛する=と確信する=ものの方向性は間違ってないなと思いました。
なんていうか、ムットーニ氏の作品空間は“小宇宙”と評される事が多いのですがまさにそうで、上に述べてきたある種の切なさが篭ってる。人形達はコミカルに動いてるように見えるんですが、私達の生きてる地上の下で、ささやかに蠢く刹那さ「哀愁」を感じて泣きたくなりますね。

200607261254000大声を上げてわーんわーんと。
新たに生まれ変わるように、一皮向けたように、感情が解き放たれる。

人間の纏っている空気は時に微妙にかわる瞬間がある。昨日までオーラが幸せピンク色だったのに、だんだん紫色に変化しつつあり、最後にブルーだったりグレーになったりする。落とし穴は不意に現れる。
人形達が発している刹那さ、「哀愁」は、人間が奈落に落ちかけているその「寸で」に似ている気がします。
200607261256001友達に「すっごい人間を見る目があるよね、それは直感なの!?」と聞かれた事があります。

そう言われた事はもちろん嬉しかったんですが、直感と云われてみればそんなような気もするし、けれどそんな高尚な能力を備えているってゆう意味合いではなく、ただ人間観察が好きなだけなんでしょうね。

そして、その色が変わる「寸で」のところを、やたら敏感に嗅ぎとってしまう習性があるのかもしれない。

10~20代の頃は特にそうでした。理屈抜きに感覚が最も冴える年代でもありますからね、まわりの人たちも微妙に揺れている時期であると思うし。
ただ危険ではあります。感傷にのめり込みすぎてしまうからね。たくさんの人を愛そうとしてしまう、手元に置こうとしてしまう、危険なものを取り外そうとしてしまう。けれどあの時期はあれで良かったのかな……「居てくれるだけで空気が和むね」と云ってくれる人もいたし。私自身の人格形成にも深く結びついている。

Haritensi 今はもう少し冷静ですよ。若干ながら少々の知識もつけてたし、勉強もしている。
ただ、やはり人間の「せつなさ」を見つけてしまう習性は変わらないかもしれません。悪戯に接触しようとするのは危険ですが、やっぱりある種の敬愛をこめて「頑張れ」と言いたい。
時には衣服の上からでも心の傷に直接触れようとしてしまうかもしれないけどね。ふふふ……。

気をつけろっ!

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著者:武藤 政彦
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ちなみにムットーニさんです。

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